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昔のパチンコ店は今では考えられないことが多々あった これはこれで良い思い出だった







 私が初めてパチンコを打った頃、お店のイメージは一言でいうと、

「怖いところ」

雰囲気、従業員、客層、ひっくるめて怖いところという印象でした。

今では考えられないような事も多々あり、当時と比べと大きく変わった業界です。

パチンコ店の状況や昔話をこれでも「ごく一部」ですが紹介します。





従業員は見た目も怖い人が多かった



今では礼儀正しく笑顔でいらっしゃいませ!とお迎えしてくれます。

私が初めてパチンコを打ったのは1990年代。

店員さんの平均年齢は30代と思われるほど、年配の方が多かった印象です。

髪型もパンチパーマの人もいたり、若めの人もいるにはいましたが暴走族バリのリーゼントだったり。

真夏でもなぜか長袖を着なくてはいけない理由がある人もいましたね。

歩き方が怖い人の歩き方(わかりますか?)だったりと・・・何せ自分は中学生の頃ですからね。

そりゃあ大人の世界はより怖く映るものですよ。

パチンコに接客というものはまだ重要とされてなかった時代です。





私のよく行っていたお店では、カウンターも若くてかわいい子でも何でもない、眼光鋭いおばちゃんでした。

大量の両替(それでも¥30000分ほど)があると、ずっとこっちの目を見て淡々と景品を用意してたっけ。

固まったように下を向きながら、何とも言えない空気の中待ってました。

いつもこんな感じの人なんだというのはじきにわかるのですが、最初の頃はビビリましたね。





パチンコは大人びた行為で少年には憧れの場所



今では信じられないが、行ってはいけない年齢でパチンコ店へ出入りしているのはかっこいい?行為でした。

大人へのあこがれがあって、タバコを吸うなんてのも同じ意味合いです。

友達に「えっ!そんなとこ出入りしてるの?」、「どんな感じ?やばくないの?」なんて聞かれて、

「別に普通だけどねぇ、今度教えてやるか?」なんて天狗になって話していたっけなぁ。





今で言えば18才ぐらいで夜の繁華街の飲み屋に出入り、雀荘へ一人で打ちに行くような感じかな。

ゲーセンは不良やヤンキーの吹き溜まり、「金出せや」となるので高校生では怖いハードルの高い場所。

そのワンランク上がパチンコなので、友達には一目置かれてました。(歪んだ優越感)

人には偉そうに話すくせに店では店員さんや怖いお客さんにガクガクしているんですから(笑)





今思えば、取っ掛かりはパチンコがおもしろいとか勝てるからではなく「大人びた事をしたかった」と思います。

怖い人や不良と知り合いになることで、他者に自分を大きく見せたかったから。

俺にはあの人たちがバックに付いているからなみたいにね。(そんなわけない)

まさに「虎の威を借る狐」、それでけ自分というものに自信がなかったのだと思うな。






今なら、タバコを吸ったりパチンコを打つというのは決して褒められた行為じゃないですね。

「時代は移り変わる」、過去の当たり前が今で違うなんてのも多く、合わせて自分も変わっていかないと思った。

昔は良かった今はダメだなんて過去に執着しても、現実は「今」を生きてるわけで。

今の若者は、昔はこうでななんていう年寄りにはなりたくないな、そういう人に昔よく説教されたから。

今の若い人は、自分の若い頃より優秀で本当にしっかりしていると思います。





従業員はシマの端でタバコを吸っていた



誤解がないように付け加えると、そういう人もいたという話です。

シマの一番端に当時は¥500玉に替える両替機があって、そこが店員さんの基本ポジション。

両替機の上には灰皿、あと昔のパチンコ店あるあるで有名な「長いゴム付きの¥100ライター」

一応お客様用かな?、紛失、盗難防止用としてひもを付けたライターがぶら下がっています。

100円ライター ひも付き
お客さんも「あ、ライターないな」という時、両替機まで行ってちょっと火をつけるために重宝しました。

両替機に肘をついてタバコを吸っていましたね。

呼び出しランプを押すとお休みのところ不機嫌そうな顔で来てくれます。






そういえば店員さんに箱を下ろしてもらうのも、思い出があります。

当時は箱を下ろすのは、「基本的に自分でやる」のが当たり前と思っていました。

というのも初心者の頃、どうにも箱がいっぱいになってしまい自分で下ろせるほど器用でも発想もなかったので、

呼び出しランプを押した、押してしまった時がありました。





店で一番怖い雰囲気の方がやってきて大声で一喝、

「箱ならここにあるだろ!(隣の空き台)、どこ見てんだボケェ!!」

「はい・・・(もう二度としません)」

あんなに怖い大人に怒られるなんて、子供には刺激が強すぎトラウマ級でしたね。

以来、大当り中でも自分で箱を下ろせるスキルが自然と身に付きました。

そう思えば昔とはずいぶん変わったと痛感します、お店も、お客さんも。





その頃は、基本的に1回交換。

大当りが終わったら、上皿の玉もすべてジェットカウンターに流してレシートにしなくてはいけません。

まだ打つなら現金投資、持ち玉で打てるようになるのはもう少し後の時代からです。

なので箱を積むという機会もほとんどなかったですね。





はじめて打った機種はニューギンのポップアート



ポップアート ニューギン パチンコ

メーカー:ニューギン
賞球:5&10
最高継続ラウンド:8R
ラウンド振り分け:なし
大当り出玉:約600個

ハネ物です。

大当りすると松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」が流れるのです。(もちろん電子音)

このころのパチンコには著作権や二次利用の概念があいまいで、無許可で楽曲やキャラクターを使っていました。

この機種の大当り中の音楽もその一つ、どこにもCマークなどありません(笑)

とはいえ無法地帯ではないので、著作権の期限が切れている「クラシック」の音源が良く使われていました。






当時としては5&10というのは少ない賞球、羽根物は7&13というのはが一般的でこの機種は出玉が少ない機種です。

その代わりにV入賞率が高く、パンクが少ないタイプでロングヒットした機種です。





それで当時はのハネ物はほとんどの店が「定量制」といって、一定の玉が出るとやめなければいけませんでした。

4000個定量の場合だと、持ち玉が4000個になると機械声の店内アナウンスが流れます。

「128番台、128番台、予定数終了です」

すると従業員がやってきて、ガラスに「予定終了のプレート」を差し込み、出玉はすべて交換します。





この瞬間がたまらなく良くて、やってやったぜ感がありましたね。

どこも2.5円交換前後の換金率なので、打ち止めでも¥10000ぐらいですか。

何台打ち止めたかで友達と競い合って自慢してました。

打ち止めになると、すぐには打てなくて何時と何時に打ち止め台の開放抽選がありました。

ハネ物は釘が良ければ右肩上がりに出続けます。





特にポップアートは、大当り出玉が少ないので何回も当りを重ねられる台が打ち止めに至ります。

出玉の多い機種のまぐれ当りの連続で打ち止めになったわけではないので、打ち止め台=釘の甘い台です。

釘のわからない、役物のクセもわからない自分にとって、この機種の打ち止めは信頼度激高でした。

羽根物を無制限ではホールも釘を開けて使いづらいので、この定量制の復活を望みますね。





打ち止め台=当日4000個以上出た実績がある台なので、狙えば堅い勝負になりました。

今と比べれば玉持ちも、役物確率もかなり甘かったですね。

よく勝っても負けても鼻歌うたいながら、チャリンコで帰っていました。

羽根物のシマの上部看板プレートには「一般台コーナー」と書いてありました。

なので一般台、平台(ひらだい)とか呼んでましたかね。

羽根物の設置台数の割合もかなり多かったです。





他にもデジパチコーナーはあるのですが、怖くて行けなかったです。

かろうじて記憶に残っているのは、初期の頃は看板プレートに「超特電コーナー」と書いてありました。

超特電とは今でいうところのフィーバー機(これも古い表現か)、デジパチのことです。

後に「フィーバーコーナー」と書かれましたが、

特電という謎の特別な言葉に「超」が付いているなんて、とてつもなくヤバいコーナーに違いない・・・

その証拠に、打っている人たちが超怖くていかがわしい人ばかり。

通路を通るだけでみんな振り返ってにらまれる経験もあって、自分にとってパチンコ=ハネ物でした。






子供連れのお客さんも普通にいた



まだ小学生になったかぐらいの子供連れもありました。

良いか悪いかは別として、車内に置いておくより何十倍も安全だけれど。

子供は打つのはやや難しいので、落ちている玉を拾って集めたりしていましたね。

別に不快感は感じず、一掴みぐらいあげるとすごい笑顔で「ありがと!」と喜んでたっけ。

あの子は今何してるんだろうか・・・





カウンターにある景品も、いかにも子供が欲しがるようなラインナップ。

あまり玉でもらう「小さいヤクルト」は、毎回近くにいる子供にあげてました。

親も遠くで右手を上げて「ありがとな」のしぐさ、何かいい時代でした。

今でも小さいヤクルトは思い入れがあって、たまに飲みたくなります。

今はトイレを借りるためでも子供の入店はNG、すぐに従業員が走ってきます。





店内ではマイクパフォーマンスがあった



マイクパフォーマンスというとイメージが違うのですが、店員さんがマイクで威勢良く喋り続けます。

代表的なのが、大当りした時。

「こちら55番台、55番台のお客様!、7が揃いましてのラッキースタートおめでとうございます!」






ただアナウンスするだけじゃなく、抑揚をつけたり七五調だったり、巻き舌などを使って器用なんです。

「た・ち・つ・て・と」=「チャ・ツィ・チュ・ツェ・チョ」

「さ・し・す・せ・そ」=「シャ・シュイ・シュ・シェ・ショ」

吉川晃司や布袋寅泰のオーバーなものまねみたいな口調とでも言いましょうか。

うまい人のマイクは、

「何か、かっこいいのです」






オリジナルの言葉も織り交ぜ、リズムよく流れるような口調、次の人へのスムーズなバトンタッチ、

汗を流しながら盛り上げるマイクの煽りに感動するような店もありましたね。

マイクの目的は、福引などで当たると鐘をチリンチリン鳴らして周囲の人の目を引く「煽るため」ですが、

今ならラップに近い?感じでカッコよさに憧れたぐらいです。






今では煽りマイクは禁止、その役割をパチンコ台が担っています。

キュインキュインはじめ、上部にある役物、激アツ演出の効果音なんかがそれにあたります。

打っている本人を祝福するためでなく、周りのお客さんを振り向かせて煽るためです。

今後まだまだ派手になっていくのは必然でしょうね。

よく行っていたお店では、有線で長渕剛が流れると必ず一緒にマイクで歌う店長がいましたね。

見るといい顔して笑顔で歌ってるんですよ、最高でした。





箱がでかい!4000個の玉箱



店にもよりましたが、4000個入る箱があらかじめ台に置いていありました。

4000個ですよ!?今は1500~1600個なので約2.5倍の玉が入るのです。

ちょっと多めに入れて持てば、取っ手のプラスチック部分が割れるんじゃないかぐらい重いのです。

3箱重ねて持ち上げた店員さんが、割って一万発近くの玉をぶちまけたのも見ましたが。





さきほどにもありましたが、当時は1回交換が主流。

中には1回の当りで4000個、6000個出る「権利物(けんりもの)」というジャンルもありました。

若造の力では4000個箱は重かった記憶がありますね。

店員さんが流してくれる??いえいえ当時は自分でジェットまで運んで流すのが当たり前でした。

だから勝った日は、レシートが7~8枚にもなるんです。

だからカウンターで、レシートの枚数をPOSに打ったかよく見ていないと不安なのです。

たまに打ち忘れなんかあったりするので、最後まで気が抜けない程よい緊張感です。





少し新しい時代だとアレパチの名機、「アレジン」「エキサイト」あたりは大体4000個箱でした。(当り2回分で1箱)

これを10箱とかの存在感たるや凄いです。

そりゃあみんな熱くなるのもうなずけます。

それでも、今と比べればまだ遊べる機種だったように思います。

「勝てなかったけど好きだった台」

そんな機種がたくさんあった時代ですね。





モーニング機能がある機種もあった



この前、後輩と話していたらパチンコの「モーニング」を知らない世代だった。(朝食が出るんですか?って)

簡単にいえば、朝イチ電源投入時は当たりやすい状態になっていること。

見た目ではわからない潜伏確変状態みたいなもので、ランダムに1/8や1/4、全台モーニングという機種もあった。





当然、朝イチから打った方が良いわけなので、朝の入場時はちょっとしたイベントごとでした。

まずはモーニングのある機種から埋まっていき、¥500~¥1000で当たる人も多かった。

パチスロのモーニングもあって、これはボーナス(ビッグ)が成立している状態。

ジャグラーでいうところの、リーチ目やGOGOランプが付いていないが狙えば7が揃う状態。

これは店がサービスで仕込むもので、新装開店などは全台なんてのもあった。(投資はメダル3枚)

パチスロのモーニング争奪戦は激しく、入れている店の情報戦も重要でした。





私の地域は、開店から1時間以内に当たった場合は終日無制限、つまり持ち玉で遊技できる権利がもらえた。

基本的に1回交換、もしくは特定の図柄で当たった場合のみ持ち玉OKのラッキーナンバー制が多かったので、

この1時間で当てる事がものすごい重要で、SPリーチに全霊の祈りをかけていましたね。

1回交換やLN制の店は持ち玉になりにくいのを踏まえた調整なので、全体的に釘は甘い調整。

それを終日持ち玉で打てれば大体勝ちかな、普段では不可能な大勝ちも狙えたので熱かったです。





モーニング狙い専門の学生も多く、学校前においしいところだけ持っていく人も多かった。

朝の稼働が少ない店なら、一人で何台も回せたので勝ちやすい時代でした。

前日の確変残りの台も抽選開放していて、競争率は高かったが抽選に当たれば勝ち確定。

朝だけ短時間狙って打つという立ち回りも、当時はかなり有効でした。





そう考えれば「遊べた」というのは事実でした。

財布に¥20000あれば十分勝負になっていたかと思う。

その代わり10万勝ちというのもあまりなく、勝ち負けの振り幅が小さいといったところ。

2.5円という交換率が遊ぶにはちょうど良いのかもしれない。

現代の甘デジが当時のレートや振り幅に近いですね。





従業員やお客さんに人情味があった



怖いイメージや、有り得ない事も多くあった時代のパチンコ店ではあるが、従業員や客にも人情味があった。

高校生の頃、店内で他校のヤンキーにカツアゲされそうな時があったが店員さんが守ってくれた事があった。

からまれている自分に気付き、彼らに「お前らいくつだ?帰れや!」と言ってくれた。

今思えば、店員さんだって自分が18才未満は見た目でわかっていただろう。

見てないようで気にかけてくれてたんだと思うと、胸にこみ上げてくるものがある。





台をガンガン叩くような者はすぐやめさせていたし、本当の不良客には毅然としていた。

おかげで店内では一定の治安は守られていた。

事務所に連れ込んで殴る蹴るような話は、かなり誇張されていて現実にはごく少数の出来事。

敬語や接客はなくても、「気軽に話せるおっちゃん」というイメージでこれはこれで心地よかった。





「今日はどうだ?」とか、初めて会ったのにもかかわらず気軽にお客さん同士でも話していた。

ハマっていればコーヒーもくれたり、帰り際にあまり玉を上皿にもらったりもした。

賭場だけどピリピリしていなく、人とのふれあいがあったように思う。





こういったパチンコの昔話をするのはとても楽しい。

ぶっ飛んでて信じられない事ばかり、笑いながら何時間でも話せて飽きないですね。

というのも「こういう話ができる人の人間性が好きです」

過去の負けを受け入れて、自分のケツは自分で拭いた方たちなので恨みも執着もまったくない。





こんな自由なのか、信じられないような時代もあったわけです。

これらの昔話が良いか悪いか、違法かどうかなどジャッジするのは望んでいません。

何だかんだいってもやってることは博打ですからね、常識や違法だのを介入させるのは筋違い。

勝ち負けは置いておいて、パチンコも昔は昔なりの良さ、今は今なりの良さがあると思います。

長年続いた日本の文化がなくなる方向に行くのは残念な気持ちです。

酸いも甘いも、苦い事が多いパチンコを、人生の1ページとして残しておきたいと思いましたね。

ひと言でいうと、「楽しい時代だった」

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昔のパチンコ店は今では考えられないことが多々あった これはこれで良い思い出だったのタグ: パチンコ
コメント
1928:懐かしく読ませていただきました by 元プロ元店長 on 2017/10/31

元店長とはほぼ同年代のようです、私。
初打ちはビックシューター3かTOKIOあたり
うちらの方では平台=チューリップ台でした。
デジタル初めは奥村のドリームWだったような気がします。
チョイ悪にあこがれて高1でパチ&煙草&お酒デビュー、学ランでパチ屋に出入りしてました。
好きが高じてパチプロに。7年ほどスロット(小役抜き・設定判別・リプレイ外し)や権利(ホー助・バレリーナ)なんかで喰えてました。
その内にジグマで喰うのが難しくなり、開店狙いは好きではなかったのでパチ屋の店員に。いい時代&企業だったのか3年ほどで店長に。スロット5号機になった頃に本社入り。
思えばパチンコと切っても切れない人生でしたが、今はほとんど遊ばなくなってしまいました・・・

このブログの読者様も同じような方が多いのでは!?
最近は羽根物も増えたので、たまにはパチンコでもしてみますかね。

こんなご時世なので厳しいとは思いますが、これからもブログを楽しみにしております。

1929: by んー on 2017/10/31

俺はそこまで古い時代は知りませんが、メダル流した時に1枚だけ足りなくて端数になっちゃうときに店員がしれっと付け足してくれたりは経験ありますね。

後は今でも稀にありますが、客から目押し頼まれて飲み物奢ってもらうとか。

パチンコは友達と良く下らない賭けをやってましたね。
一番最初に確変引いたらジュースを奢らなきゃダメとか、この激熱演出外したら飯奢ってもらえるとか(笑)
あの頃はホント楽しかった

1930:Re: 懐かしく読ませていただきました by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/01

元プロ元店長様、ありがとうございます。

もうパチンコを一周された方ですね。
学ラン入店は肝の座った不良だけで、ビビリでできなかったですね(笑)
スロットも判別やハズシもやらないお客さんも多かったので、食いっぱぐれることはない時代でした。
バレリーナは客層がやや怖、ホー助は甘かったですね(1回交換ばかりだったけど)
やっぱりデジタルより、玉の物理的で時に不可解な動きがいいですよね。

昔のP業界は昇進させたがる?のか、仕事のできる人はどんどん昇進していきましたね。
バブルで破格の給料でしたね。
今のパチンコはつまらない、勝てない、腹が立つユーザーの気持ちは共感できますし、
ホールも売上減でない袖は振れず、これままたよくわかるので共倒れしかかっているのかもしれませんね。
幅広い年齢層の方に読んでいただけているので、また懐かしく香ばしい話も織り交ぜて書いていきます。

1931:Re: タイトルなし by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/01

んー様、ありがとうございます。

目押しでコーヒーは儀式でしたね。
ちゃんと銘柄も見てくれてるんでしょうね、その気遣いがほんとうれしいくほっこりします。

他のお客さんがいるのでできないですが、本当はみんなでワイワイ騒いでやってみたいです。
賭けと言えば、最後まで当りを引けなかった奴がカウンターの子に告白するゲームをやって最終的に結婚しましたね。
すごいかわいい子だったのでみんなマジかマジか・・・と、人生の七不思議のひとつです。

男同士の賭けは遠慮なく本当におごらせますからね、逆に自分が負けたらきっちりおごると。
はたから見ればバカげているけれど、男特有の絆はありますよね。
あの頃はホント楽しかった。

1932: by やくみ on 2017/11/02

たしかに酒もタバコもパチンコも不良のステータスだったね。
カッコつけるためだけど。
ミルキーバーはよく打った。
アタッカー周りとか絞められてなかったし、締める店は客が飛んでたな。

1933:Re: タイトルなし by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/02

やくみ様、ありがとうございます。

今ではカッコ悪い行為みたいですよ。
いろいろ時代も踏まえると確かにと思います。
ミルキーバーは名機でしたね。
2回目3回目が早く取れれば7000発overもありましたし。
当時はアタッカー周りや出玉を落とすというのはしなかったのに・・・

1934: by マサイク on 2017/11/05

楽しくいつも拝見しています。
40代ですが、やはりパチンコのスタートは平台でした。
なかでもパチンコ大賞が大好きでよく打ってました。
海賊KIDも好きでしたね
あの頃に戻りたいですね…

1935:Re: タイトルなし by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/06

マサイク様、ありがとうございます。

パチンコ大賞は名機中の名機ですよね。
私も電子音の軍艦マーチをまだ鮮明に覚えています。
当時の西陣の作る羽根物は神がかってましたね。
ゲームセンターでも残存していないでしょうね・・(特に羽根物は)
あ、岐阜県のレトロミュージアムにパチンコ大賞があったです。
機会がありましたらぜひ、世代的にもうたまらないラインナップですよ。


1936: by じゃじゃ on 2017/11/06

懐かしく拝見しました。
私は初打ちはチューリップ台(しか無い時代)、次に、アレンジボール(手打ち)、収支はその後、ラッキーブラボーやゼロタイガーが登場してから今まで継続して付けてます。

個人的には昔も良かったが今も良い(好きな機種があり、設置85店舗廻りました)、です。

「並びとは おしくらまんじゅう だったのに」
今は、整然となりました。

1937:Re: タイトルなし by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/07

じゃじゃ様、ありがとうございます。

素晴らしい時代を歩んでこられたのですね。
手打ちの時代は技術が収支に繋がってたのでしょう。
1975年発売 間寛平-「ひらけチューリップ」の世界でしょうかね。(名曲です)
私も、並びは開店と同時にブワァと突っ込んでいくのを少し体験した世代です。
転んでもその上を人が踏んで走っていきました(笑)
パチンコの初期から時代の移り変わりを見てこられてうらやましいですね。

1942:懐かしの漫画 by 名無しの打たず人 on 2017/11/11 (コメント編集)

「スラムダンク」でも桜木軍団が開店待ちしてましたね~
たしか高校一年生だったんじゃ…
今の少年ジャンプじゃできない表現なのかな?息苦しい時代ですね

1944:Re: 懐かしの漫画 by 元店長:まつたけ侍 on 2017/11/12

名無しの打たず人様、ありがとうございます。

そうですよね、違和感なく読んでましたけど今思えば高校生ですね。
昔は表現にも受け手に「寛容さ」がありました。
今ではすぐ叩かれてしまう時代・・・私たちは全然良いと思うんですけどね。

2345:感動‼ by 浅井守 on 2019/09/20

令和元年53歳、元パチンコ店従業員をしてた者です。ブログ読んでて自分が書いたかのように記憶と内容が一致して、ビックリする位感動しました‼自分は1984年~2002年までパチンコ店や他の仕事を転々としてました。昔のパチンコ屋って軍艦マーチで朝はスタートして閉店は蛍の光、マイクパフォーマンスあったりお客も店員もパンチ頭率が高かったなぁ…店内の隅でタバコジュースしてましたね‼ドル箱も島の上にあったり、大当たり回数が手動式で面倒でした。スロットも1店舗1~2種類しかなくて、それが30~40台あって1回交換が主流でビッグ1回5000円位でした。パチンコ店の2階が寮や事務所になってる事が多かったですよね。別棟の寮に憧れてました。店舗は、どこもネオンギラギラ派手な外観で空調悪くて週1回公休日があり、休みの日もお店の人と他店に行ってたなぁ‼その他店に行くと、自分の店に来る客が店員だったりして気まずくなったり仲良くなったりしてました。ギャラも当時1ヶ月週1休みで18~20万位が多かったと思います‼中には27万とか募集記事に書いてあり、問い合わせると寮費やら食費やらガッツリ引かれて差はなかったですね。当時若かったので、客に注意して絡まれたりして体格の良いコワおもての店長に助けてもらいましたね。昔の店長のイメージはヤクザ顔負けのプロレスラーみたいな現場叩き上げな方が多かったなぁ‼今の店長は大卒のエリート、サラリーマン的なイメージですね。今はクリーンなパチンコ店のイメージですが、当時はグレーな感じで訳ありな従業員が多かったし、人探しのテレビ番組で必ずパチンコ店で働いてるのを見たとかの情報やってたし、脱税も多かったのは事実‼そんな悪いイメージをクリーンにしようと業界経営トップや団体が努力して、マナーの行き届いた若い学生スタッフや落ち着いた外観に空調設備、時代に合わせたゲーム性や連チャン性、地域や社会貢献して街中を車で5~10分走れば1~2軒のパチンコ店あったのに、時代の流れかこの数年バタバタ閉店倒産してますよね…形は変われど、自分の思い出や大好きな空間が消えていくのは淋しい限りです。自分は畳の上で死ぬより、パチンコ店のイスで座って蛍の光とともに最期を迎えたいですね(クソ迷惑な客‼)沢山の人を楽しませ、悲しませ?夢と悪夢を見させ、最高と最悪な勝負に夢中になれ、イヤな事も良い事も忘れさせ、あるときは天国、大半は地獄の不思議な空間が自分は大好きです‼が、負けたらバカ野郎~勝ったら有り難う精神で残りの人生もファンでいきます‼業界関係者、踏ん張れ‼そして出せ‼ありがとうございました‼

2346:Re: 感動‼ by 元店長:まつたけ on 2019/09/20

浅井守様、ありがとうございます。

懐かしいですね。
私は少し下の世代ですが、ウィンクルかな?スロット1回交換も打ちましたね。
パチンコも交換図柄当りでもラッキーナンバーの札を勝手に刺してバレてド叱られましたw
無制限なんてとんでもない時代ですね。
ネオンのケバケバしい感じがいかにもで好きでした。

元従業員さんということでいろいろ楽しい辛いも経験されてきたのですね。
見た目は怖いが人情味がある人は大好きでした!私も蛍の光で眠りたいです。
酸いも甘いもあるパチンコですが、きっと無駄ではなかったと思ってます。
こうしてお話できるのもその経験があったからこそですから!

パチンコがどのように最期を迎えるのか、一緒に見守っていきましょう!




2491:ジーン... by うさぎちゃん🐰 on 2022/10/24

いい時代の元店員さん、初めまして‼️
私も羽根物で『うちのポチ』(たぶん)を初めて打って、とにかく羽根物が大好きでした。近くのパチ屋の二階はほぼ羽根物で、とにかく全部制覇しました。

会社の帰りに即パチ屋に入って羽根物打って、閉店まで打ってしまい、そんなことばかりしてました。

そのうち、フィーバーパワフルを母から薦められて、打ったら500円で5連チャン‼️
そこからデジパチにも行き、今度はニューパルにもいってしましました。
そのまま、今のまんまパチンコ人生を歩んだ私でした。


今はCRからPに変わり、母がはやくもなくなって、今はやらなくなってしまいました。

時々今のパチンコを見ると、約1/319もするパチンコは等価でも勝てない。
今はまさにギャンブルですよね。

私も1日で8万円スッたこともあって、泣くに泣けないのに、今のYouTuberや、普通のパチンカーのやり方は恐ろしくて😥

1000円で28回は回る台でないと、10000万円使った時に280回転回る。
なのに、10000円で140以下しかでない。

まあ、店によると思います。

でも、これはギャンブルとしか思えないんです。


元店員さんがいて、私みたいな客がいて、しょっちゅう来る私みたいな客に店員さんは優しくしてもらえた。本当に楽しい時代でした😊


この時代を知らない人はとっても可愛そう。
羽根物やデジハネなんかは、打ちはじめて10分でまた今日も10箱行くな😏なんて思っていた私は幸せだったのかな。

でも、打ってるあの瞬間は、無になれた。
幸せだったと思いましょうね。

では。。。

2493:Re: ジーン... by 元店長:まつたけ on 2022/10/29

うさぎさん、ありがとうございます

私も同年代なのでその感覚とてもよくわかります!
ハネモノから初めて徐々にデジタル機へステップアップしていきましたね
親子・友人と少額で仲良く楽しめた時代で庶民の娯楽でした
見た目怖い店員さんもよく気にかけてくれたのも嬉しかったです

今や6~7万/日に使う完全にギャンブル化してますね
もうあの頃のパチンコに戻れないと思うと寂しいものです
当時の楽しさやお母さんとの思い出が伝わってくる文章にほっこりしました

古き良き時代を知る生き証人としてパチンコを見守っていきます笑

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プロフィール

元店長:まつたけ


「まつたけ」と申します。
元パチンコ店の店長です。
負け組、ホール店長、パチプロと人とは変わった経験をしてきました。
勝つためには?も大事ですが「こうすれば負ける」を論理的に知ることが依存・執着を克服できる術です。
パチンコを善悪ではなく多面的な見方でお伝えしています。
程よい距離感でパチンコと付き合えるため多くの方々のお力になれればと発信しています。


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元店長:まつたけ

前職はパチンコ店の店長

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「なぜ、私はこんなに負けたのか?」
「納得できる理由、本当のところを知りたい」

周りの反対を押し切り、パチンコ店に就職!

得意の探求心がこうじて店長に。
退職後、経験を生かし?パチプロに転身。

昔とは全然違うパチンコとの向き合い方を構築。

・ビギナーから上級者まで
・パチンコの裏も表も暴露
・内容の濃い情報にこだわる

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