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昔のパチンコ店は今では考えられないことが多々あった これはこれで良い思い出だった









 私が初めてパチンコを打った頃、お店のイメージは一言でいうと、

「怖いところ」

雰囲気、従業員、客層、ひっくるめて怖いところという印象でした。

今では考えられないような事も多々あり、当時と比べと大きく変わった業界です。

パチンコ店の状況や昔話をこれでも「ごく一部」ですが紹介します。





従業員は見た目も怖い人が多かった



今では礼儀正しく笑顔でいらっしゃいませ!とお迎えしてくれます。

私が初めてパチンコを打ったのは1990年代。

店員さんの平均年齢は30代と思われるほど、年配の方が多かった印象です。

髪型もパンチパーマの人もいたり、若めの人もいるにはいましたが暴走族バリのリーゼントだったり。

真夏でもなぜか長袖を着なくてはいけない理由がある人もいましたね。

歩き方が怖い人の歩き方(わかりますか?)だったりと・・・何せ自分は中学生の頃ですからね。

そりゃあ大人の世界はより怖く映るものですよ。

パチンコに接客というものはまだ重要とされてなかった時代です。





私のよく行っていたお店では、カウンターも若くてかわいい子でも何でもない、眼光鋭いおばちゃんでした。

大量の両替(それでも¥30000分ほど)があると、ずっとこっちの目を見て淡々と景品を用意してたっけ。

固まったように下を向きながら、何とも言えない空気の中待ってました。

いつもこんな感じの人なんだというのはじきにわかるのですが、最初の頃はビビリましたね。





パチンコは大人びた行為で少年には憧れの場所



今では信じられないが、行ってはいけない年齢でパチンコ店へ出入りしているのはかっこいい?行為でした。

大人へのあこがれがあって、タバコを吸うなんてのも同じ意味合いです。

友達に「えっ!そんなとこ出入りしてるの?」、「どんな感じ?やばくないの?」なんて聞かれて、

「別に普通だけどねぇ、今度教えてやるか?」なんて天狗になって話していたっけなぁ。





今で言えば18才ぐらいで夜の繁華街の飲み屋に出入り、雀荘へ一人で打ちに行くような感じかな。

ゲーセンは不良やヤンキーの吹き溜まり、「金出せや」となるので高校生では怖いハードルの高い場所。

そのワンランク上がパチンコなので、友達には一目置かれてました。(歪んだ優越感)

人には偉そうに話すくせに店では店員さんや怖いお客さんにガクガクしているんですから(笑)





今思えば、取っ掛かりはパチンコがおもしろいとか勝てるからではなく「大人びた事をしたかった」と思います。

怖い人や不良と知り合いになることで、他者に自分を大きく見せたかったから。

俺にはあの人たちがバックに付いているからなみたいにね。(そんなわけない)

まさに「虎の威を借る狐」、それでけ自分というものに自信がなかったのだと思うな。






今なら、タバコを吸ったりパチンコを打つというのは決して褒められた行為じゃないですね。

「時代は移り変わる」、過去の当たり前が今で違うなんてのも多く、合わせて自分も変わっていかないと思った。

昔は良かった今はダメだなんて過去に執着しても、現実は「今」を生きてるわけで。

今の若者は、昔はこうでななんていう年寄りにはなりたくないな、そういう人に昔よく説教されたから。

今の若い人は、自分の若い頃より優秀で本当にしっかりしていると思います。





従業員はシマの端でタバコを吸っていた



誤解がないように付け加えると、そういう人もいたという話です。

シマの一番端に当時は¥500玉に替える両替機があって、そこが店員さんの基本ポジション。

両替機の上には灰皿、あと昔のパチンコ店あるあるで有名な「長いゴム付きの¥100ライター」

一応お客様用かな?、紛失、盗難防止用としてひもを付けたライターがぶら下がっています。

100円ライター ひも付き
お客さんも「あ、ライターないな」という時、両替機まで行ってちょっと火をつけるために重宝しました。

両替機に肘をついてタバコを吸っていましたね。

呼び出しランプを押すとお休みのところ不機嫌そうな顔で来てくれます。






そういえば店員さんに箱を下ろしてもらうのも、思い出があります。

当時は箱を下ろすのは、「基本的に自分でやる」のが当たり前と思っていました。

というのも初心者の頃、どうにも箱がいっぱいになってしまい自分で下ろせるほど器用でも発想もなかったので、

呼び出しランプを押した、押してしまった時がありました。





店で一番怖い雰囲気の方がやってきて大声で一喝、

「箱ならここにあるだろ!(隣の空き台)、どこ見てんだボケェ!!」

「はい・・・(もう二度としません)」

あんなに怖い大人に怒られるなんて、子供には刺激が強すぎトラウマ級でしたね。

以来、大当り中でも自分で箱を下ろせるスキルが自然と身に付きました。

そう思えば昔とはずいぶん変わったと痛感します、お店も、お客さんも。





その頃は、基本的に1回交換。

大当りが終わったら、上皿の玉もすべてジェットカウンターに流してレシートにしなくてはいけません。

まだ打つなら現金投資、持ち玉で打てるようになるのはもう少し後の時代からです。

なので箱を積むという機会もほとんどなかったですね。





はじめて打った機種はニューギンのポップアート



ポップアート ニューギン パチンコ

メーカー:ニューギン
賞球:5&10
最高継続ラウンド:8R
ラウンド振り分け:なし
大当り出玉:約600個

ハネ物です。

大当りすると松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」が流れるのです。(もちろん電子音)

このころのパチンコには著作権や二次利用の概念があいまいで、無許可で楽曲やキャラクターを使っていました。

この機種の大当り中の音楽もその一つ、どこにもCマークなどありません(笑)

とはいえ無法地帯ではないので、著作権の期限が切れている「クラシック」の音源が良く使われていました。






当時としては5&10というのは少ない賞球、羽根物は7&13というのはが一般的でこの機種は出玉が少ない機種です。

その代わりにV入賞率が高く、パンクが少ないタイプでロングヒットした機種です。





それで当時はのハネ物はほとんどの店が「定量制」といって、一定の玉が出るとやめなければいけませんでした。

4000個定量の場合だと、持ち玉が4000個になると機械声の店内アナウンスが流れます。

「128番台、128番台、予定数終了です」

すると従業員がやってきて、ガラスに「予定終了のプレート」を差し込み、出玉はすべて交換します。





この瞬間がたまらなく良くて、やってやったぜ感がありましたね。

どこも2.5円交換前後の換金率なので、打ち止めでも¥10000ぐらいですか。

何台打ち止めたかで友達と競い合って自慢してました。

打ち止めになると、すぐには打てなくて何時と何時に打ち止め台の開放抽選がありました。

ハネ物は釘が良ければ右肩上がりに出続けます。





特にポップアートは、大当り出玉が少ないので何回も当りを重ねられる台が打ち止めに至ります。

出玉の多い機種のまぐれ当りの連続で打ち止めになったわけではないので、打ち止め台=釘の甘い台です。

釘のわからない、役物のクセもわからない自分にとって、この機種の打ち止めは信頼度激高でした。

羽根物を無制限ではホールも釘を開けて使いづらいので、この定量制の復活を望みますね。





打ち止め台=当日4000個以上出た実績がある台なので、狙えば堅い勝負になりました。

今と比べれば玉持ちも、役物確率もかなり甘かったですね。

よく勝っても負けても鼻歌うたいながら、チャリンコで帰っていました。

羽根物のシマの上部看板プレートには「一般台コーナー」と書いてありました。

なので一般台、平台(ひらだい)とか呼んでましたかね。

羽根物の設置台数の割合もかなり多かったです。





他にもデジパチコーナーはあるのですが、怖くて行けなかったです。

かろうじて記憶に残っているのは、初期の頃は看板プレートに「超特電コーナー」と書いてありました。

超特電とは今でいうところのフィーバー機(これも古い表現か)、デジパチのことです。

後に「フィーバーコーナー」と書かれましたが、

特電という謎の特別な言葉に「超」が付いているなんて、とてつもなくヤバいコーナーに違いない・・・

その証拠に、打っている人たちが超怖くていかがわしい人ばかり。

通路を通るだけでみんな振り返ってにらまれる経験もあって、自分にとってパチンコ=ハネ物でした。






子供連れのお客さんも普通にいた



まだ小学生になったかぐらいの子供連れもありました。

良いか悪いかは別として、車内に置いておくより何十倍も安全だけれど。

子供は打つのはやや難しいので、落ちている玉を拾って集めたりしていましたね。

別に不快感は感じず、一掴みぐらいあげるとすごい笑顔で「ありがと!」と喜んでたっけ。

あの子は今何してるんだろうか・・・





カウンターにある景品も、いかにも子供が欲しがるようなラインナップ。

あまり玉でもらう「小さいヤクルト」は、毎回近くにいる子供にあげてました。

親も遠くで右手を上げて「ありがとな」のしぐさ、何かいい時代でした。

今でも小さいヤクルトは思い入れがあって、たまに飲みたくなります。

今はトイレを借りるためでも子供の入店はNG、すぐに従業員が走ってきます。





店内ではマイクパフォーマンスがあった



マイクパフォーマンスというとイメージが違うのですが、店員さんがマイクで威勢良く喋り続けます。

代表的なのが、大当りした時。

「こちら55番台、55番台のお客様!、7が揃いましてのラッキースタートおめでとうございます!」






ただアナウンスするだけじゃなく、抑揚をつけたり七五調だったり、巻き舌などを使って器用なんです。

「た・ち・つ・て・と」=「チャ・ツィ・チュ・ツェ・チョ」

「さ・し・す・せ・そ」=「シャ・シュイ・シュ・シェ・ショ」

吉川晃司や布袋寅泰のオーバーなものまねみたいな口調とでも言いましょうか。

うまい人のマイクは、

「何か、かっこいいのです」






オリジナルの言葉も織り交ぜ、リズムよく流れるような口調、次の人へのスムーズなバトンタッチ、

汗を流しながら盛り上げるマイクの煽りに感動するような店もありましたね。

マイクの目的は、福引などで当たると鐘をチリンチリン鳴らして周囲の人の目を引く「煽るため」ですが、

今ならラップに近い?感じでカッコよさに憧れたぐらいです。






今では煽りマイクは禁止、その役割をパチンコ台が担っています。

キュインキュインはじめ、上部にある役物、激アツ演出の効果音なんかがそれにあたります。

打っている本人を祝福するためでなく、周りのお客さんを振り向かせて煽るためです。

今後まだまだ派手になっていくのは必然でしょうね。

よく行っていたお店では、有線で長渕剛が流れると必ず一緒にマイクで歌う店長がいましたね。

見るといい顔して笑顔で歌ってるんですよ、最高でした。





箱がでかい!4000個の玉箱



店にもよりましたが、4000個入る箱があらかじめ台に置いていありました。

4000個ですよ!?今は1500~1600個なので約2.5倍の玉が入るのです。

ちょっと多めに入れて持てば、取っ手のプラスチック部分が割れるんじゃないかぐらい重いのです。

3箱重ねて持ち上げた店員さんが、割って一万発近くの玉をぶちまけたのも見ましたが。





さきほどにもありましたが、当時は1回交換が主流。

中には1回の当りで4000個、6000個出る「権利物(けんりもの)」というジャンルもありました。

若造の力では4000個箱は重かった記憶がありますね。

店員さんが流してくれる??いえいえ当時は自分でジェットまで運んで流すのが当たり前でした。

だから勝った日は、レシートが7~8枚にもなるんです。

だからカウンターで、レシートの枚数をPOSに打ったかよく見ていないと不安なのです。

たまに打ち忘れなんかあったりするので、最後まで気が抜けない程よい緊張感です。





少し新しい時代だとアレパチの名機、「アレジン」「エキサイト」あたりは大体4000個箱でした。(当り2回分で1箱)

これを10箱とかの存在感たるや凄いです。

そりゃあみんな熱くなるのもうなずけます。

それでも、今と比べればまだ遊べる機種だったように思います。

「勝てなかったけど好きだった台」

そんな機種がたくさんあった時代ですね。





モーニング機能がある機種もあった



この前、後輩と話していたらパチンコの「モーニング」を知らない世代だった。(朝食が出るんですか?って)

簡単にいえば、朝イチ電源投入時は当たりやすい状態になっていること。

見た目ではわからない潜伏確変状態みたいなもので、ランダムに1/8や1/4、全台モーニングという機種もあった。





当然、朝イチから打った方が良いわけなので、朝の入場時はちょっとしたイベントごとでした。

まずはモーニングのある機種から埋まっていき、¥500~¥1000で当たる人も多かった。

パチスロのモーニングもあって、これはボーナス(ビッグ)が成立している状態。

ジャグラーでいうところの、リーチ目やGOGOランプが付いていないが狙えば7が揃う状態。

これは店がサービスで仕込むもので、新装開店などは全台なんてのもあった。(投資はメダル3枚)

パチスロのモーニング争奪戦は激しく、入れている店の情報戦も重要でした。





私の地域は、開店から1時間以内に当たった場合は終日無制限、つまり持ち玉で遊技できる権利がもらえた。

基本的に1回交換、もしくは特定の図柄で当たった場合のみ持ち玉OKのラッキーナンバー制が多かったので、

この1時間で当てる事がものすごい重要で、SPリーチに全霊の祈りをかけていましたね。

1回交換やLN制の店は持ち玉になりにくいのを踏まえた調整なので、全体的に釘は甘い調整。

それを終日持ち玉で打てれば大体勝ちかな、普段では不可能な大勝ちも狙えたので熱かったです。





モーニング狙い専門の学生も多く、学校前においしいところだけ持っていく人も多かった。

朝の稼働が少ない店なら、一人で何台も回せたので勝ちやすい時代でした。

前日の確変残りの台も抽選開放していて、競争率は高かったが抽選に当たれば勝ち確定。

朝だけ短時間狙って打つという立ち回りも、当時はかなり有効でした。





そう考えれば「遊べた」というのは事実でした。

財布に¥20000あれば十分勝負になっていたかと思う。

その代わり10万勝ちというのもあまりなく、勝ち負けの振り幅が小さいといったところ。

2.5円という交換率が遊ぶにはちょうど良いのかもしれない。

現代の甘デジが当時のレートや振り幅に近いですね。





従業員やお客さんに人情味があった



怖いイメージや、有り得ない事も多くあった時代のパチンコ店ではあるが、従業員や客にも人情味があった。

高校生の頃、店内で他校のヤンキーにカツアゲされそうな時があったが店員さんが守ってくれた事があった。

からまれている自分に気付き、彼らに「お前らいくつだ?帰れや!」と言ってくれた。

今思えば、店員さんだって自分が18才未満は見た目でわかっていただろう。

見てないようで気にかけてくれてたんだと思うと、胸にこみ上げてくるものがある。





台をガンガン叩くような者はすぐやめさせていたし、本当の不良客には毅然としていた。

おかげで店内では一定の治安は守られていた。

事務所に連れ込んで殴る蹴るような話は、かなり誇張されていて現実にはごく少数の出来事。

敬語や接客はなくても、「気軽に話せるおっちゃん」というイメージでこれはこれで心地よかった。





「今日はどうだ?」とか、初めて会ったのにもかかわらず気軽にお客さん同士でも話していた。

ハマっていればコーヒーもくれたり、帰り際にあまり玉を上皿にもらったりもした。

賭場だけどピリピリしていなく、人とのふれあいがあったように思う。





こういったパチンコの昔話をするのはとても楽しい。

ぶっ飛んでて信じられない事ばかり、笑いながら何時間でも話せて飽きないですね。

というのも「こういう話ができる人の人間性が好きです」

過去の負けを受け入れて、自分のケツは自分で拭いた方たちなので恨みも執着もまったくない。





こんな自由なのか、信じられないような時代もあったわけです。

これらの昔話が良いか悪いか、違法かどうかなどジャッジするのは望んでいません。

何だかんだいってもやってることは博打ですからね、常識や違法だのを介入させるのは筋違い。

勝ち負けは置いておいて、パチンコも昔は昔なりの良さ、今は今なりの良さがあると思います。

長年続いた日本の文化がなくなる方向に行くのは残念な気持ちです。

酸いも甘いも、苦い事が多いパチンコを、人生の1ページとして残しておきたいと思いましたね。

ひと言でいうと、「楽しい時代だった」










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元店長:まつたけ侍

前職はパチンコ店の店長
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